【アメリカ家庭用ゲームの歴史②】ドンキーコングで一発逆転した任天堂がゲーム市場を復活させるまで
前回はアメリカでテレビゲームが誕生して、ゲーム市場が崩壊するところまでまとめました。
今回は任天堂がアメリカに進出してから、アメリカゲーム市場で圧倒的な王者になるまでです。
ゲーム市場の崩壊から少し遡ること1980年に当時社長の娘婿である荒川氏がニンテンドー・オブ・アメリカを開設します。
ニンテンドーは日本の任天堂からアーケードゲームを仕入れて販売する事業を始めました。
『スペースインベーダー』の亜流ゲームである『スペースフィーバー』というアーケードゲームを任天堂から仕入れて販売したところ、人気があったため順調に売れました。
しかし、次の『スペースランチャー』は迫力にかけ、『スペースファイアバード』も期待を裏切る出来と不作が続きます。
アタリの『ポン』や『パックマン』といったメガ級のヒットが欲しいなかでついに『レーダースコープ』が登場します。