本田技研工業の歴史・創業ストーリー

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時価総額 5兆9016億3400万 円
銘柄コード 7267(市場第一部(内国株))

本田技研工業株式会社は東京南青山に本社をおく自動車メーカー。1946年、本田宗一郎氏が静岡県浜松市山下町でエンジンや工作機械の製作や研究を開始。1947年自動車用補助エンジン、1949年初の二輪車を生産開始。1958年初代「スーパーカブC100」を発売。1963年初の四輪製品を発売。1965年F1メキシコGPで初優勝。1966年には二輪車世界ロードレースで史上初の全種目メーカーチャンピオンを獲得。


1946年10月 本田宗一郎が静岡県浜松市に本田技術研究所を開設、内燃機関および各種工作機械の製造ならびに研究に従事
1948年9月 本田技術研究所を継承して本田技研工業株式会社を設立
1949年8月 二輪車生産開始
1952年4月 本社を東京都に移転
1952年9月 パワープロダクツ生産開始
1953年5月 大和工場(1973年1月より 埼玉製作所 和光工場)稼動開始
1954年4月 浜松製作所葵工場(2014年4月より トランスミッション製造部)稼動開始
1957年12月 株式を東京証券取引所に上場
1959年6月 米国にアメリカンホンダモーターカンパニー・インコーポレーテッドを設立
1960年5月 鈴鹿製作所稼動開始
1960年7月 本田技術研究所を本田技研工業より分離し、株式会社本田技術研究所を設立
1963年6月 四輪車生産開始
1964年10月 タイにアジアホンダモーターカンパニー・リミテッドを設立
1964年11月 狭山製作所(1973年1月より 埼玉製作所 狭山工場)稼動開始
1969年3月 カナダにホンダカナダ・インコーポレーテッドを設立
1970年9月 狭山製作所第2工場工機部門を本田技研工業より分離し、ホンダ工機株式会社(1974年7月より ホンダエンジニアリング株式会社)を設立
1970年12月 真岡工場(2014年4月より パワートレインユニット製造部)稼動開始
1971年10月 ブラジルにホンダモーター・ド・ブラジル・リミターダ(2000年4月より ホンダサウスアメリカ・リミターダ)を設立
1975年7月 ブラジルにモトホンダ・ダ・アマゾニア・リミターダを設立
1976年3月 熊本製作所稼動開始
1977年2月 ADR(米国預託証券)をニューヨーク証券取引所に上場
1978年3月 米国にホンダオブアメリカマニュファクチュアリング・インコーポレーテッドを設立
1978年8月 アルゼンチンにホンダモトール・デ・アルヘンティーナ・エス・エーを設立
1980年2月 米国にアメリカンホンダファイナンス・コーポレーションを設立
1985年2月 英国にホンダオブザユー・ケー・マニュファクチュアリング・リミテッドを設立
1985年9月 メキシコにホンダ・デ・メキシコ・エス・エー・デ・シー・ブイを設立
1987年1月 カナダにホンダカナダファイナンス・インコーポレーテッドを設立
1987年3月 米国に北米子会社事業の統轄機能を有するホンダノースアメリカ・インコーポレーテッドを設立
1989年8月 英国に欧州子会社事業の統轄機能を有するホンダモーターヨーロッパ・リミテッドを設立
1992年7月 タイにホンダカーズマニュファクチュアリング(タイランド)カンパニー・リミテッド(2000年12月より ホンダオートモービル(タイランド)カンパニー・リミテッド)を設立
1996年5月 アジアホンダモーターカンパニー・リミテッドにアセアン子会社事業の統轄機能を設置
1999年4月 東京都に株式会社ホンダクレジット(2002年7月より 株式会社ホンダファイナンス)を設立
1999年12月 米国にホンダマニュファクチュアリングオブアラバマ・エル・エル・シーを設立
2000年4月 ホンダサウスアメリカ・リミターダに南米子会社事業の統轄機能を設置
2002年6月 埼玉製作所 和光工場の四輪車用エンジンの生産を終了し、その生産機能を埼玉製作所 狭山工場(2002年10月より 埼玉製作所)に移管(埼玉製作所 和光工場跡地については、2004年7月よりHonda和光ビルとして活用)
2004年1月 中国に中国事業の統轄機能を有する本田技研工業(中国)投資有限公司を設立
2009年9月 埼玉製作所 小川工場稼働開始
2013年7月 埼玉製作所 寄居工場稼働開始