「十五大財閥」はどのようにデカくなったのか!各財閥のルーツまとめ(後編)

「十五大財閥」はどのようにデカくなったのか!各財閥のルーツまとめ(後編)

「十五大財閥」はどのようにデカくなったのか!(前編)では、四大財閥(三菱・住友・三井・安田)について見ていきました。

後編では、その他の財閥についてまとめていきます。

渋沢財閥:資本主義の父・渋沢栄一により創立。設立に関わった企業数は約500社

渋沢財閥は、資本主義の父・渋沢栄一(1840~1931年)により創設された財閥です。

 渋沢栄一は埼玉県の豪農の子供として生まれ、のちに幕末最後の将軍「徳川慶喜」のもとで幕臣をしていました。 

大政奉還がおこなわれると、徳川家は駿河藩(静岡県)の藩主となります。  

徳川家に仕えていた渋沢栄一も静岡県に滞在。そこで「商工会所」という半官半民の企業を設立し、大儲けします。  

その功績が明治政府に認められたことで、大蔵省の有力者・井上馨の補佐として働くことになりました。 

その後、日本初の銀行である「第一国立銀行」(現 みずほ銀行)を設立。 

その他にも、東京株式取引所(現 東京証券取引所)や横浜正金銀行(現 三菱UFJ銀行)や日本鉄道会社(JR東日本)などを設立しており、生涯にかかわった企業は約500社にものぼると言われています。

 

 渋沢は設立した企業が軌道に乗ると事業を売却し、売却益で新しい企業を設立していったそうです。  

設立した企業を渋沢家の閉鎖的な所有下におかなかったことから、「財閥」と呼べるかはきわどいものの、多くの企業の設立に寄与しました。


浅野財閥:石炭の燃えカス「コークス」で財を成す。渋沢栄一に信頼されたことで深川セメント製造所を手にいれる

浅野財閥は、富山出身の実業家である浅野総一郎(1848~1930年)により創設され、現在のJFEスチールなどの源流をもつ財閥です。

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