イスラエル海軍出身!「クソ野郎」からの転身を果たしたWeWork創業者アダム・ニューマン(前編)

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先日ソフトバンクグループの決算資料を見ていて、「WeWork」の存在に目を惹かれました。

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WeWorkはソフトバンク・ビジョン・ファンドの中でも代表的な投資先

WeWorkはソフトバンク・ビジョン・ファンドの投資先としては代表的な扱いとなっており、 利用する「メンバー」の数も前年比2倍以上の成長を続けています。

しかし外側から見た限りでは、WeWorkと普通のコワーキングスペースの違いがよくわからないと感じている人は少なくないのではないでしょうか。

働き方が多様化する現在においてシェアオフィスやコワーキングスペースが増えているのは理解できますが、その中でWeWorkだけがなぜ特別とされているのでしょうか。


今回のシリーズでは、WeWorkを作ったアダム・ニューマンとはどんな人物なのかについて迫ることで、「WeWork」の何が特別なのかについて考えていきたいと思います。


WeWork創業者アダム・ニューマンはイスラエルの「キブツ」で育った

アダム・ニューマンは1979年、イスラエルのテルアビブで生まれました。

彼の祖母はポーランドで生まれましたが、生後6ヶ月のときに通りすがりの人から反ユダヤ的な言葉を投げかけられ、危険を感じた父親(ニューマンの曽祖父)が家族で(現在の)イスラエルに移住したのです。

曽祖父は一度ポーランドに戻って兄弟たちもイスラエルに来るよう説得しましたが、残念ながら誰も応じず、ホロコーストで全員殺されてしまったそうです。

ニューマンの両親はともに医者でしたが、彼が小さい頃に離婚し、母親に育てられます。

育ったのは「キブツ」と言われる集落で、ニューマン本人が言うには「失敗した社会実験」。そこでは大人たちは全員、同じ金額の給料を受け取っていました。


ニューマンは大人になると、イスラエルの軍隊でキャリアをスタートします。

ところが軍隊は肌に合わなかったのか5年ほどで退役。

そして2001年、妹のアディ・ニューマンのモデル業を手伝うためにアメリカにわたります。

2002年には23歳になろうかというタイミングでニューヨーク市立大学バルーク校に入学。(バルーク校は学生の80%が移民)

小さい頃からアメリカのテレビ番組を観て育ったニューマンは、アメリカで何かデカイことをしてお金持ちになってやろう、と意気込んでいたそうです。


アメリカに渡って2年間は遊び呆け、その後も起業して数年間は失敗続きだった

ただ、最初の2年間はひどいもので、ほとんど勉強せずに毎晩パーティに参加し、町中の女の子に声をかけるという生活をしていました。

それが楽しいと信じていたニューマンでしたが、実際には毎朝憂鬱な気分で起き上がる生活で、「こんなことをするためにアメリカに来たんじゃない」と思い直します。


ニューマンは渡米したときから「アメリカでビッグになってやる」という野心をもっており、大学での専攻も「起業とマーケティング」がテーマでした。

真剣に起業しようと考えたニューマンは、(本人曰く)「天才的なアイデア」を考え出します。


最初に思いついたのは、「折りたたみ可能なハイヒール」というもの。

大都会のニューヨークでは、人混みを急いで歩くにはハイヒールは不便です。

そこで、急ぎたい時にはヒールを折りたたみ、目的地に着いたらヒールを立てられるようにしたらいいんじゃないか。

これがニューマンの最初の起業アイデアとなりました。

ところが実際に試作品を作ってみると、ヒールを折りたたむ時にメンバーの一人の指をあやうく切断しそうになってしまいます。

ニューマンは「自分がこの分野について何も知らない」とすぐに諦め、他のアイデアを考えることにしました。


二つ目のアイデアとして考えたのは、「Krawlers」というベビー用品ブランド。

ハイハイするときに膝を護るためのパッドがついたズボンを作るというプランでした。

コンセプトは「(赤ちゃんが)何も言わないからって、痛くないとは限らない」。

大学の教授を頼って中国へ飛び、工場を見つけて発注しましたが、できた製品はひどいものでした。

パッドは足首についているし、丈の長さは2インチほど長すぎたりと問題が多く、その後も苦労します。

売上は最大で200万ドルまで拡大したものの、コストは300万ドルかかるという大赤字。

アメリカに渡ってから5年が経過し28歳になっていたニューマンは、これから先どうすればいいのか悩むしかなかったそうです。


のちに妻となるレベッカと出会い、「クソ野郎」呼ばわりされて人生を考え直す

そんな中、ニューマンは後に結婚するレベッカと出会います。

ところが、「あなたは本当にクソ野郎だ。言ってることは嘘ばかりだし、事業をやってるというが情熱はないし、お金のことを話すけど破産も同然。食事のときはいつも私が先にクレジットカードを出すのを待ってる」とボロクソに言われます。

「あなたがやっていることには一切の意味がない」とまで言われ、困ったニューマンは「じゃあ、どうすればいい」と尋ねます。

すると彼女は「自分が本当に好きだと感じられることを見つけなさい。やっていることに情熱を感じられないなら、それは無駄な時間でしかない。それを一番に考えて取り組めば、道は自然に開けるし、成功とお金も後からついてくる」と言います。


彼女の言うことに感銘を受けたニューマンは、まだ数ヶ月しか付き合ってなかったにも関わらずレベッカにプロポーズ。

ボロクソに言いながらもニューマンの潜在能力を感じていたのか、二人は結婚し、これまでに5人の子供をもうけています。

その後、レベッカはWeWorkの創業にも携わり、現在では子供向けの教育事業「WeGrow」のCEOを務めています。

参考:WeWork Launching School to ‘Grow Children’s Minds, Hearts, and Spirits’


レベッカとの出会いをきっかけに考え方を改めたニューマンはその後、共同創業者であるミゲル・マッケルビーと出会い、紆余曲折をへていよいよ「WeWork」を立ち上げることになります。

後編へ続く)