【永久保存版】宅急便はどのように普及したのか(後編)

ヤマトホールディングス

前編では、「宅急便がどのように普及したのか」というテーマについて整理するために、ヤマト運輸の創業から業績悪化までの歴史を整理しました。

宅急便はどのように普及したのか【前編】

後編では、いよいよ「どのように宅急便を成功させたか」という点について、具体的な戦略・戦術とともに切り込んでいきたいと思います。


「電話」「航空」など既存のネットワーク事業を参考に独自の計画を立てる

宅急便事業をはじめるにあたって一番の問題は、「どうやって荷物を集めるか」という点にありました。

商業荷物と違って、個人の荷物は偶発的・非定型的に発生します。

一見ランダムに見える宅配ニーズを、どのようにして事業として成り立たせるのか。


考えているうちに、昌男氏の頭に一つの疑問が浮かびます。

「個人の宅配需要は、本当に偶発的なのか?」

個々の宅配需要は偶発的でも、全体として眺めれば大きな流れがあるのではないかと考えたのです。

全体に規則性があれば、対応は不可能ではありません。

昌男氏は、「全国規模の集配ネットワークを築けば、ビジネスになる」という仮説を立てました。


そうして出てきたのが「取次店の設置」というアイデアです。

酒屋や米屋など、主婦がいつも行くような商店に取次店になってもらい、荷物を預かってもらう。

取次店には、預かった荷物ごとに手数料を支払う。

主婦は買い物ついでに荷物を預けられますし、取次店にとっては手軽に得られる副収入となります。


次の問題は、拠点をどのくらい作ればネットワークとして成立するかです。

航空事業では「ハブ・アンド・スポーク」と言って、少数のハブ空港を中心に多くの地方空港に接続便(スポーク)を飛ばすことで、効率の良いネットワークを構築しています。

昌男氏はこの仕組みを参考にして、都道府県ごとに最低一か所の「ベース」、ベースから荷物を運び出す「センター」、センターへの荷受を行う「デポ」という3階層のネットワークを発案しました。

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