ヤマハ発動機のM&Aの航跡。二輪車からロボット、海洋DXまで広がる変革の歴史

ヤマハ発動機

「ヤマハ」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。風を切るモーターサイクル、水面を滑る船外機、あるいは工場の自動化を支える産業用ロボットかもしれません。

ヤマハ発動機の多岐にわたる事業ポートフォリオは、一朝一夕に築かれたものではありません。そこには、時代の変化を読み、果敢なM&A(合併・買収)によって事業の舵を切り続けてきた、知られざる戦略の航跡が存在します。

本記事では、ヤマハ発動機のM&Aの歴史を紐解き、同社が描いてきた成長と変革のストーリーとして描き出します。

創業期の基盤固めから、グローバル市場での覇権争い、そして「マリン版CASE」やスマート農業といった未来への布石まで。M&Aの取り組みを通して、ヤマハ発動機の次なる一手を見通していきます。

創業期:生産体制を固めた国内M&A(1950年代〜1960年代)

ヤマハ発動機の歴史は、1955年、日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)から二輪車製造部門が独立したことから始まります。創業間もない同社にとって、M&Aは事業の骨格を形成し、生産能力を飛躍的に高めるための重要な手段でした。

この時期のM&Aは、国内の有力な部品メーカーやエンジンメーカーをグループに迎え入れることに主眼が置かれていました。1959年の北川自動車工業1960年の昌和製作所、そして1969年の三信工業(後のヤマハマリン)のグループ入りがその象徴です。

特に、汎用エンジンなどを手掛けていた昌和製作所は、後のヤマハモーターパワープロダクツへと繋がる源流となり、現在の多角的な事業展開へと通じています。

また、船外機の開発・製造で強みを持つ三信工業の存在は、ヤマハが「陸」だけでなく「海」のモビリティカンパニーとして世界に名を馳せるための、重要な布石となっています。

この時代のM&Aは、自社に不足していた技術や生産基盤を外部から獲得し、来るべきモータリゼーションの波に乗るための「土台作り」であったと言えます。

創業期に生産基盤を構築したヤマハ発動機。ここからは、2000年代のグローバル市場への展開、そして「マリン版CASE」やスマート農業といった新領域を開拓する近年のM&Aまで、事業を大きく飛躍させた変革の歩みを解説します。

続きを読むには

Strainerプレミアムに
ご登録いただく必要があります。

初回30日間無料体験実施中!

無料で続きを読む
または
ログイン