スライド6枚で押さえる「カルロス・ゴーン逃亡」の経緯と今後予想される出来事まとめ

スライド6枚で押さえる「カルロス・ゴーン逃亡」の経緯と今後予想される出来事まとめ

新年あけましておめでとうございます!

2019年も非常に多くの出来事がありました。今年はさらに質をあげて取り組んでいけるよう、精進していく所存です。

さて、2019年の締めくくりはとんでもない大事件で幕を下ろしました。日産自動車元会長、カルロス・ゴーン被告の海外逃亡です。至るところで報道されてきたゴーン問題ですが、この辺りで情報を整理したいと感じているのは自分だけではないはず。

そこで今回は、どんな経緯で今回の一件が起きたのかを時系列でおさらいした上で、逃亡劇の内容、それから今後予想される事態までを6枚のスライドに整理したいと思います。

フランス企業のトップになるまで

まず押さえたいのが、ゴーン被告の半生です。

カルロス・ゴーンは1954年、ブラジルのポルトベーリョで誕生しました。父はレバノン人。ポルトベーリョはアマゾン川の上流部にあり、高温多湿で蚊が多いところ。ゴーンは2歳のとき、井戸の水を飲んで生死を彷徨い、医者の勧めでリオデジャネイロに引っ越しました。

しかし、少年ゴーンは回復せず、母らとレバノンに移住。当時のレバノンは「中東のスイス」と言われるほど平和。フランスによる統治時代もあったため、フランス語圏でもあります。

かのナポレオンが実質的な創立者であるフランスの理系最高峰「エコール・ポリテクニーク」を卒業し、世界的タイヤメーカー「ミシュラン」に入学。26歳でブラジルでの工場長に昇格。その後はフランスやブラジル、アメリカを渡り歩き、創業家の右腕に登り詰めました。

経営トップになりたかったゴーンは1996年、18年勤めたミシュランを離れます。そして転職したのが、民営化したばかりの自動車メーカー、ルノーでした。経営不振のルノーで徹底的なコストカットを実行し、大きな批判に晒されながらも業績は回復。

1998年、自動車業界に再編の波が訪れる中でルノーは、パートナーとして日産自動車を選びます。自動車メーカーにとって「規模」はコスト競争力上、非常に大きな意味があります。販売台数が年400万台に届かないメーカーは潰れると言われていました。

当時も認知度の高かった日産ですが、赤字が続いていました。助っ人経営者として送り込まれたゴーンは、ここでもコストカット体制を作って再建。2兆円を超えていた純有利子負債は2002年度にはゼロになりました。

フランスとゴーン、日産の微妙な関係

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