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なぜ暴動が?今こそ知っておきたい「香港の歴史」

なぜ暴動が?今こそ知っておきたい「香港の歴史」

  • 清の時代、唯一の貿易拠点となった「広州」
  • イギリスの植民地時代
  • 終戦とともに「返還先」が変わる
  • イギリスとの返還交渉
  • そして、特別行政区へ

世界有数の金融センターとして発展をとげた香港。

巨大な経済圏である中国の近くにありながら、英語も(おおむね)通じるという特徴から、欧米とアジアを結ぶハブとして発展してきました。

その香港が今、大きな騒動の渦中にあります。

なぜ今のような暴動が起こっているのかを知るには、香港が歴史的にどう発展してきたかを理解するのが近道です。

今回は、香港でのデモが沈静化することを願いながらも、アヘン戦争から始まる香港の歴史が直近の騒動にどのように関連しているかについて整理したいと思います。

清の時代、唯一の貿易拠点となった「広州」

1600年に設立されたイギリス東インド会社は、コショウ獲得のためアジアへ航海しました。

しかし当時はオランダ東インド会社の勢いが強く、イギリス東インド会社が活路を見出したのが「インド」です。以来、インド各地に商館をおいたイギリス東インド会社は、徐々に植民地の統治者、政治機関へと変質していきました。

そして、そのイギリス東インド会社が1699年ごろ、香港に来航するようになります。

当時の中国は「清」が統治する時代で、1685年には外国貿易港として4港を定めていましたが、乾隆帝時代の1757年からは外国貿易を広州一港に限定したのです。

貿易商人は「公行」と呼ばれる特許商人で、1711年には香港にイギリス商館が開設され、中国との貿易拠点となりました。

イギリスは当時、中国から大量の茶葉を輸入していたため、大量の銀が中国に流出。貿易赤字をよしとしないイギリスは、中国との貿易拡大を要求しました。

しかし、中国側はこれを受け入れず、イギリス側はアヘンの密貿易に手を出します。

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