(前編の続き)
2012年、IACのインキュベーション「Hatch Labs」でスタートしたTinder。ローンチから2ヶ月でマッチ数100万を超え、アプリサービスとして極めて早く成功を手にしました。
前編ではTinder創業者ショーン・ラッド氏の生い立ちと、最初のトラクション作りについてご紹介しました。後編では、初期のTinderが他にどのようなグロース施策を講じたか、それから後に起こった訴訟問題についてまとめたいと思います。
あるとき、共同創業者のジャスティン・マティーン氏の弟が、大学の親友のためにバースデーパーティを企画していました。
その際に、通っていた南カリフォルニアから自宅まで合計500人もの大学生をバスで運ぶために何度も行ったり来たりする必要がありました。そんな中でマティーン氏が、「このバスをスポンサーして『Tinder Party』という名前にしよう」と言い始めたのです。
この時もショーン・ラッド氏は非常に戸惑ったそうですが、マティーン氏は意に介さず、誕生日パーティを迎える女の子に「Tinder Partyってことにしていい?費用は払うし、もっと大きくて良いものにするから」と電話。
彼女は快諾したので、マティーン氏はバスの費用を払い、バスの入り口に受け付け係をおきます。そしてなんと、「Tinderをダウンロードしなければバスに乗れない」というルールを課したのです。
結果として、南カリフォルニア大学では400人もの人たちがTinderをダウンロード。その時点ではほとんどの人がTinderが何なのかは理解していなかったそうです。
しかし、彼らがパーティから自宅に帰り、試しにTinderアプリを開いたときにマジックが起こりました。アプリを開けば、大学の気になる異性がいるのです。南カリフォルニア大学ではTinderが大流行することになりました。
この施策の成功をきっかけに、ラッド氏は「大学ごとに浸透させる」というのがTinderの広め方として最強の施策だと認識します。狭いコミュニティで強力な口コミを起こせますし、何より大学生は彼らにとって最も厳しいユーザーでした。大学生の心をつかむことができれば、他のところでも成功すると考えたのです。
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・Tinder初期のグロース施策に関する逸話
・「スワイプ」中心のUIになった経緯
・創業者ショーン・ラッドが大事にする考え方
・泥沼の訴訟問題