ゼネラルミルズの歴史/事業と2017年5月期の業績

ゼネラルミルズ

ゼネラルミルズは米国ミネソタ州ミネアポリスに本社をおく世界的な食品メーカー。

シリアルやアイスクリーム(ハーゲンダッツとか)からパスタ、ヨーグルトなど、100を超える食品ブランドを有している。

決算プレゼンスライドがファンシーである。

まずはゼネラルミルズの背景を少し見ておこう。

ゼネラルミルズの歴史

ソース

製粉所の創業

ゼネラルミルズの始まりは1866年にさかのぼる。当時のアメリカはリンカーンが亡くなり、南北戦争が集結したすぐ後であった。

農家、教師、そしてリンカーンの下で少将(major general)などを経験し、当時48歳だった創業者のカドワラダー・ウォッシュバーンは、セント・アンソニー滝のところに製粉所を建てはじめた。人々はそれを「ウォッシュバーンの馬鹿げた企て(Folly)」と呼んだが、すぐに確かな利益を生んだようだ。

ところが、1878年にウォッシュバーンの製粉所は地震をきっかけに爆発を起こしてしまう。その頃にはすっかりミネアポリスのシンボルとなり、ウォッシュバーンも1872-1874年まで州知事を務めるまでになっていた。その後、ウォッシュバーンは製粉所の安全性を何より追求するようになったという。彼は1882年に亡くなった。

ゼネラルミルズの誕生

1925年、ジェームズ・フォード・ベルが「ウォッシュバーン・クロスビー」社の社長に就任。その頃、製粉産業は死にかけており、二度と蘇ることはないと考えたベルは会社の幹部たちにレポートを書いた。

ベルは4000万ドルで会社を身売りする約束を交わすも破談。それなら逆に会社を立て直そうと、当時力のある銀行家であったベイカー氏(80歳)に事業立て直しの戦略を売り込む。ベイカー氏は彼を応援することにし、1928年6月20日に「ゼネラル・ミルズ」が設立された。

同年の11月30日にはニューヨーク証券取引所に一株65ドルで株式公開された。そのすぐ後に世界恐慌が訪れる。

1929年、世界恐慌によって証券取引所は全体で90%も下落し、アメリカ人の平均年収は2300ドルから1500ドルにまで落ち込んだ。ゼネラルミルズも経営に苦しみつつも、製造やマーケティングに工夫を凝らすことでなんとか生き延びた。

ゼネラルミルズの事業と2017年5月期の業績

まずは業績推移をみる。 

 売上高のピークは2014年で、179億ドルまで成長したが、2017年5月期は売上高156億ドル、営業利益25億ドルとなっている。

現在のゼネラルミルズは、製粉というよりは総合食品メーカーになっており、世界100カ国以上で事業を展開している。

ソース

米国向けが100億ドル、海外が46億ドル、コンビニ&フードサービスが19億ドル、ジョイントベンチャーが10億ドルを売り上げているそうだ。

米国内100億ドルのうち、24%が食事、23%がシリアル、21%がスナック、19%が小麦粉類、13%がヨーグルトその他となっている。

海外ではヨーロッパが43%、アジア太平洋が22%、カナダが20%、南米が15%となっているようだ。


各事業セグメントの変化率は次の通り。

売上高 営業利益
北米 -5% -2%
コンビニ&フードサービス -3% +6%
欧米&オーストラリア -4% -9%
アジア&南米 +3% +20%

ジョイントベンチャーは少し扱いが違うようだが、ハーゲンダッツ・ジャパンは好調のようである。

シリアルをグローバルで伸ばす、というのは今後の戦略でも大きな位置を占めているようだ。

そのほかにも、

・米国でのヨーグルトを革新によって改善

・多様な成長機会に投資(ハーゲンダッツ、スナックバー、有機自然食品)

などが基本戦略のようだ。

ヨーグルトのイノベーション、というのがよくわからないが、要するに新しい製品を投入していくということだろうか。1992年以来ほとんどずっと伸び続けているようだ。

その中で新たに投入するのがこれ。

ゼネラルミルズの伝統的なフレンチ・レシピからインスパイアされたホールミルクのヨーグルト。シンプルな材料で、最高の味わいだという。「単純にベター」なセグメントを作っているらしい。