シリコンバレーのさらに奥!無線技術で土壌をつくったスタンフォード大とヒューレットパッカードの始まり
今回はシリコンバレーの歴史をさらに遡り、「谷」の土壌となったスタンフォード大学とヒューレットパッカードの発祥についてまとめてみたいと思います。
「シリコンバレー」の始まりはショックレー研究所からですが、その前からすでに「ラジオバレー」とも言うべき土壌が存在しました。
スタンフォード大学は、1885年にカリフォルニア上院議員リーランド・スタンフォードとその妻のジェーンによって設立されました。
スタンフォード氏は1824年にニューヨーク州で生まれました。
祖先は17世紀にアメリカに渡ったということで、アメリカに入植したヨーロッパ人の中ではかなり早い方です。
1841年からカゼノビアカレッジで法律について学んだ後、1845年よりオールバニ(同じくニューヨーク州)の法律事務所で働き始めます。
法律家として頭角を現したスタンフォード氏は、1850年にはホイッグ党の弁護士に選ばれ、オールバニの商人の娘、ジェーンと結婚。
ところが1852年、火事で全ての財産を失ってしまったスタンフォード氏は、兄弟たちに続いてカリフォルニアのゴールド・ラッシュに出向きます。