19歳の若者が1951年に独学で実用化!月額会員で稼ぐコンタクトレンズメーカー「メニコン」

コンタクト市場が伸びている」という話をTwitterで見かけました。

確かに自分も使い捨てコンタクトなしでは生きていけない体ですし、そういう方は少なくないのではないでしょうか。

そこで今回は、国内の代表的なコンタクトレンズ会社「メニコン」について調べていきたいと思います。

メニコンの創業者である田中恭一氏は、1931年に愛知県で生まれました。

父親は竹彫作家の田中華山(嘉尚)氏。


国民学校高等科(12〜14歳)になった頃は戦争真っ只中。

恭一氏も特殊潜航艇のスクリューを作る工場に学徒動員されます。

父親譲りの器用さに加え、普通は触る機会のない「旋盤」の操作方法をみっちり仕込まれたことが、後のコンタクトレンズ製造に役立つことになります。


戦争が終わると、老舗眼鏡店「メガネの玉水屋」で丁稚奉公を開始。

持ち前の器用さと好奇心の強さからメキメキと頭角を現し、進駐軍の野戦病院に出向してメガネを作成するようになります。

それが1950年、恭一氏の人生に決定的な出会いをもたらします。


玉水屋の常連だった米軍将校の夫人が、「私、コンタクトレンズを持っているのよ」と教えてくれたのです。

恭一氏も存在は知っていたものの、見たことはありませんでした。

なんども懇願したものの見せてはくれず、逆にそのことが恭一氏のハートに火をつけました。


それ以来、恭一氏の頭から「コンタクトレンズ」が頭から離れなくなり、自分や家族の目を観察することからスタート。

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