2004年に事実上の経営破綻!復活をとげた「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」の戦略まとめ(前編)

今回取り上げるのは、大阪のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」です。

USJは東京ディズニーリゾートに次いで国内第2位のテーマパークです。

年間入場者数は1460万人に達し、3位のハウステンボス(長崎)には圧倒的な差をつけています。

今となっては日本を代表する2大テーマパークの一つに成長したUSJですが、その歴史は順風満帆とは程遠いものでした。


ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの創業まで

ユニバーサル・スタジオの始まりは、1912年にカール・レムリがハリウッドで開始した映画制作会社「ユニバーサル映画」にあります。

今や映画産業の中心となったハリウッドですが、当時はまだ創成期。娯楽としての「映画」自体も始まってまだ日が浅い時代でした。

おそらくは日銭稼ぎの意味合いもあって、当初から映画制作の現場が見られる「スタジオツアー」を提供していました。


①「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド」の始まり

1915年には「ユニバーサル・シティ」として25セントの入場料とともにサービス化。

無声映画の場合は観衆がいても問題はありませんでしたが、トーキー(音声映画)の登場によって難しくなり、1930年に一度中止しています。

その後、バスツアーなどの形で部分的にスタジオツアーが復活しますが、ユニバーサル映画はその後、オーナーが転々とします。

1961年には路面電車によるツアーがはじまり、翌年に音楽バンドのタレント会社だった「MCA(Music Corporation of America)」がオーナーになります。

1964年当時の『GlamorTrams』と言われる路面電車

そして1964年、大々的にスタートしたのが「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド」です。

映画制作を観られるということで始まったユニバーサル・スタジオ・ハリウッドですが、やがてステージイベントやアトラクションなど映画の世界観を「体験」できるテーマパークとして商業的な成功を収めます。

この成功を受けて、MCA社は「ユニバーサル・スタジオ・フロリダ」の建設に着手。

1990年にオープンするフロリダ版の建設中、1988年に立ち上がったのが「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」プロジェクトです。


② ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開園まで

MCA社は日本進出のため、1988年に新日本製鉄と提携して「事業費500億円」という計画を立てます。

翌年には事業費が1,000億円にまでふくらみ、1990年に大阪府堺市(新日本製鉄の所有地)を利用するということで合意。


ところが、実際に現地を視察する段になるとMCA側は交通アクセスの悪さ、新日本製鉄側もロイヤルティー(7.5%)の高さに難色を示してUSJ建設が破談となります。

交渉決裂を聞きつけた大阪市が、誘致しようと交渉に出ますが、場所として提示した鶴浜の埋立地がまたしても場所の悪さを理由に決裂。


MCA側は翌日に帰国する予定でしたが、決裂した夜の緊急会議(大阪市のみ)で「桜島地区はどうか」というアイデアが出ます。

そこでMCA幹部が泊まっているホテルに押しかけ、「帰国を延ばして桜島を見て欲しい」と頼み込みます。

このようにして大阪・桜島地区が「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」建設の第一候補となりました。


1994年、大阪市が22%出資する「第三セクター」として「大阪ユニバーサル企画(株)」が設立されます。

当初は1999年開園の予定でしたが、MCA社のオーナーが松下電器(1991年にMCA社を買収)から変わったことなどが影響して2年遅れ、2001年3月末の開園となりました。

オープン初年度は1,100万人の来場数で、当時では世界最速の1,000万人の記録を達成したことで話題になりました。

2007年には東証マザーズに上場。

華やかなスタートを切ったUSJですが、2年目以降の来場者数は伸び悩んでいました。

2001年度には話題性の大きさもあって1,103万人の来場者となりましたが、2年目には763万人に低迷。

2009年には過去最低の750万人にまで減少。この年に上場廃止になっています。


ところが2011年以降は来場者数が増えはじめ、2014年には1270万人と開演時の記録1100万人を超えることに成功。

2015年10月には過去最高の月間来場者数175万人を集客し、「東京ディズニーリゾート」を単月で超えたと言われています。

このV字回復の立役者と言われているのが、2010年に入社したマーケティング部長(当時)、森岡毅氏です。


今回のエントリでは、USJがどのようにして窮地におちいったのか、そしてどのような戦略によって復活を成し遂げたのかについて整理してみたいと思います。


積み重なる不祥事が原因?

華々しくスタートを切ったUSJは、なぜ来場者数が落ち込んでしまったのでしょうか。

大きな理由と考えられていたのは、開場の翌年に起こった数々の不祥事でした。




あるアトラクションにて火薬を超過使用していた問題が発覚

問題はそれだけにとどまらず、工業用水の配管が飲用水の配管とつながっていたこと、期限切れ食品の提供、オレンジジュースの中になぜかトイレの水が入っているなど数多くの問題が出ています。


そもそもUSJがオープンする際には金融機関から1,250億円の借り入れを行い、毎年約100億円の返済が必要となっており、財務的にはかなりキツイ状況でした。

「第三セクター」特有のゆるい経営体質もあって、2004年には事実上の経営破綻となります。


同年、本家ユニバーサル・スタジオ社から送られてきたグレン・ガンペル氏が新社長として就任

彼は徹底的なコストカットを行い、危機的な状況をなんとか回避します。

しかしコストカットはできても来場者数は伸ばすことはできず、売上を伸ばすことが次の重要課題となっていました。

そんな中で2010年に白羽の矢を立てたのが、当時P&Gでマーケティングを担当していた森岡毅氏です。


社内外で流れていた業績不振の2つの仮説

森岡氏は就任後、USJの業績不振の課題を見つけるべく幹部社員にヒアリングを重ねます。

社員間で流れていた仮説は2つありました。


一つは、開業翌年に起きた不祥事によってブランドイメージが地に落ちたこと。

もう一つは、「ハローキティ」など映画に関係ないコンテンツが増えたため、「映画のテーマパーク」による差別化ができず、ディズニーランドにお客を奪われているということ。


しかし森岡氏は、社員間で流れるこの2つの仮説を見当違いであると一刀両断します。

一つ目の理由が間違っている理由は、「不祥事が起こってからずいぶん時間が経っている」から。

「人の噂は75日」という言葉もあるように、2002年に起こった不祥事が2010年まで尾を引いているというのは見当違いもいいところ。

森岡氏が実際に過去のデータを調べてみると、現実は全くの反対でした。

不祥事が起きてから来場者数が減ったのではなく、来場者が減ったことが不祥事発生の要因になったのです。


例えば、来場者数が減ると使われない食品が増えます。

その結果として増えてしまった期限切れ食品を「もったいない」と提供してしまったのが、「期限切れ食品問題」につながったのです。


二つ目の理由が間違っている理由は、「東京ディズニーランドとの間に差別化など必要ない」から。

ディズニーランドとUSJの間の距離は離れているため、「どっちに行こうか」と迷うことは考えにくい。

ディズニーは関東地方の、USJは関西地方のお客さんをいかに安定して集められるかというのが一番重要な課題です。

このことを森岡氏は、「関東と関西には交通費3万円の川が流れている」という例えで説明しました。

全く関係ないと言えばウソになりますが、地域のお客さんを集められるかどうかの方がはるかに影響が大きい、という分析です。


「映画の専門店」から「世界最高のエンタメ・セレクトショップに」

森岡氏は、それまで社内外で言われていた「USJが業績不振におちいった理由の仮説」を一蹴しました。

一番の課題と考えたのは、映画ファン「だけ」を対象にしようとするユニバーサル・スタジオ・ジャパンのテーマ設定でした。

関西地方には、人口から考えて関東の3分の1程度の市場規模しかありません。

つまり、普通にやってたら東京ディズニーリゾートの3分の1程度まで来場者数が落ち込むのは極めて自然なことなのです。


さらに、あらゆるエンターテイメントの中で、「映画」が占める割合はそれほど大きくありません。

日本人の場合、エンターテイメントに費やす時間のうち、映画に時間を使う割合は10回のうちの1回くらいの頻度だそうです。

つまり「映画にこだわる」ということは、自らマーケットサイズを10分の1に絞っているようなものというわけです。


そこで大きな戦略として、森岡氏は「映画ファンのためのテーマパーク」から「世界最高のエンターテイメントを集めたセレクトショップ」への脱皮を提案。  

アニメや音楽などあらゆるジャンルの中から、最高のブランドを集めたテーマパークにしよう、と考えたのです。

森岡氏は、この改革を推し進めていく「三段ロケット構想」を当初から考えていたといいます。


1段目のロケットは、テーマパーク事業の最大のボリュームゾーンである「ファミリー層」の取り込みです。

USJは「映画の専門店」という間違ったこだわりを持っていたため、子供連れのファミリー層を取り込むことができていませんでした。

ありとあらゆる施策を使ってファミリー層を取り込み、そこで生み出したキャッシュフローをテコにして2段目のロケットにつなげるというわけです。


そして、USJを高みへと連れていく2段目のロケットとして選ばれたのが「ハリーポッター」という最強ブランドです。

森岡氏がUSJに入社して二ヶ月後、ユニバーサル・オーランド・リゾートでオープンしたばかりの「The Wizarding World of Harry Potter」の試作モデルを見たそうです。

もともと無類のテーマパーク好きだった森岡氏は、世界中のメジャーなテーマパークはほとんど制覇しており、アトラクションについての「相場」感を持っていました。

その経験からも、ハリーポッターアトラクションはズバ抜けていたと言います。


しかも、日本におけるハリーポッターブランドの強さにはもの凄いものがあります。

ハリーポッターの映画を日本の映画館で見たことのある述べ人数は、全8作で7,800万人

スターウォーズでも全く敵わず、スタジオジブリの作品全ての観客動員数を足し合わせてやっと同じくらいという数字だそうです。

なおかつ、ハリーポッターには「本」もあります。

日本の歴代トップセラーを上から見ていくと、16冊中実に5冊がハリーポッターとなっています。

このように、ハリーポッターは日本において最強のブランドであり、これを使って集客施設を作れるチャンスはそうそうありません。

しかし今度は、肝心の「費用」が問題になります。

ハリーポッターのアトラクションを作る予算は450億円という巨額なものだったのです。


2010年当時、コストカットにより経営危機からようやく立ち直っていたUSJにとって、450億円もの設備投資をするのは簡単な決断ではありませんでした。

社長のグレンをはじめ多くの人が反対したそうですが、森岡氏はなんとか説得し、2014年のオープンを目指してハリーポッター・アトラクションを建設することになります。


そうなると今度は、「ハリーポッターまでの3年間」をいかに生き残るかが問題となりました。

450億円の設備投資を決めた以上、USJの財政状態はカツカツです。

下手をするとそれまでの3年でキャッシュが尽き、ゲームオーバーになってしまう可能性もあります。

ハリーポッターに設備投資を集中させる以上、「1段目のロケット」に使えるお金はほとんどありませんでした。

そんな中で、「いかにお金を使わずに集客するか」に工夫を凝らしていくのです。

(後編へ続く)

参考

USJを略式起訴へ 大阪地検、火薬類取締法違反で。 

TVプロダクションツアー水飲器に関するお詫びとご報告

USJが9年連続の値上げ、入場者数の推移は?

USJを劇的に変えたたった1つの考え方