三井不動産が東京ドームにTOB?香港ファンドによる改革案など発端から整理

三井不動産が東京ドームにTOB?香港ファンドによる改革案など発端から整理

東京ドーム

昨日、三井不動産が東京ドームにTOB(株式公開買付)をかける見込みであることが各紙によって報じられた。

東証一部に上場する(株)東京ドームの時価総額は昨日時点で860億円。三井不動産はプレミアム込みで1000億円を上回る金額を投じるという。買収は単独でなく、他の事業会社との共同で行われるという情報もある。

さて、今回フォーカスしたいのはTOBの申し入れ(正式発表はまだだが)に至ったまでの経緯である。ご承知の方も多いと思うが、東京ドームには香港ファンド「オアシス・マネジメント」により取締役解任が求められていた。

オアシスは東京ドームの何に目をつけたのか。本記事ではファンド側の主張も参照しつつ、中立的な立場で論じてみたい。

プロ野球の歴史とともにある「東京ドーム」

まずは、そもそも東京ドームという企業の成り立ちからおさらいしよう。

ルーツは1936年に設立された「後楽園スタヂアム」。読売新聞社の正力松太郎や阪急電鉄の小林一三が出資し、職業野球(当時)専用の球場として創立した。

最初に所属したのはジャイアンツではなく、後楽園野球クラブ(球団名イーグルス)。しかしうまくいかず、翌年には株式譲渡され、1943年に解散した。

野球場としての後楽園スタジアムは1937年に開場した。当時はもちろん屋根はなく、プロ野球全8球団の公式戦を開催していた。初年度のMVPは沢村栄治。最多勝から最多奪三振まで総ナメである。

後楽園スタヂアムは1949年、東京証券取引所などに株式を上場。1955年には後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティ アトラクションズ)を開場するなど、戦後には事業の多角化も進める。

その他にも競輪場(1949年)、スキー場(1959年)、大阪シティホテル(1986年)などを展開するが、撤退した事業も多い。

1988年には日本初のドーム球場「東京ドーム」として刷新。雨天順延の心配がいらない球場として注目を集めた。

『東京ドームホテル』の開業は2000年、『LaQua(ラクーア)』は2003年。現在の事業形態は、およそ17年ほど前までに整ったものと言える。

収益の大半は「東京ドーム」事業から

言うまでもなく、東京ドームの収益の大半は「東京ドームシティ」によるものだ。

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