トヨタ自動車の歴史・創業ストーリー

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時価総額 32兆8257億5500万 円
銘柄コード 7203(市場第一部(内国株))

トヨタ自動車は愛知県豊田市トヨタ町に本社をおく世界的な自動車メーカー。
1933年に(株)豊田自動織機製作所に自動車部を設置されたのが始まり。
1936年G1型トラックを初輸出し、トヨタマークも制定。
1937年にトヨタ自動車工業(株)を設立した。
1969年には輸出累計100万台及び年間国内販売100万台を達成。
1999年国内生産累計1億台を達成。
代表車種にプリウス、カローラ、ヴィッツなど。


1933年9月 ㈱豊田自動織機製作所 (現在の㈱豊田自動織機) 内で自動車の研究を開始
1935年11月 トラックを発売
1936年9月 乗用車を発売
1937年8月 ㈱豊田自動織機製作所 (現在の㈱豊田自動織機) より分離独立 (会社創立)(社名  トヨタ自動車工業㈱、資本金  12,000千円)
1940年3月 豊田製鋼㈱ (現在の愛知製鋼㈱) 設立
1941年5月 豊田工機㈱ (現在の㈱ジェイテクト) を設立し、精密工作機械の製造事業を移管
1943年11月 中央紡績㈱を吸収合併
1945年8月 トヨタ車体工業㈱ (現在のトヨタ車体㈱) を設立し、自動車車体の製造事業を移管
1946年4月 関東電気自動車製造㈱ (現在のトヨタ自動車東日本㈱) 設立
1948年7月 日新通商㈱ (現在の豊田通商㈱) 設立
1949年5月 東京、名古屋、大阪の各証券取引所に株式を上場(現在は東京、名古屋、ニューヨーク、ロンドンの各証券取引所に株式を上場)
1949年6月 愛知工業㈱ (現在のアイシン精機㈱) 設立
1949年12月 日本電装㈱ (現在の㈱デンソー) を設立し、自動車用電装品の製造事業を移管
1950年4月 トヨタ自動車販売㈱を設立し、販売業務を移管
1950年5月 民成紡績㈱ (現在のトヨタ紡織㈱) を設立し、紡績事業を移管
1953年8月 東和不動産㈱設立
1956年3月 トヨタ自動車販売㈱が産業車両を発売
1957年10月 米国トヨタ自動車販売㈱設立
1960年11月 ㈱豊田中央研究所設立
1966年10月 日野自動車工業㈱・日野自動車販売㈱ (現在は合併し、日野自動車㈱) と業務提携
1967年11月 ダイハツ工業㈱と業務提携
1975年12月 店舗用住宅を発売
1977年2月 個人用住宅を発売
1980年3月 ティース  トヨタ㈱ (現在のトヨタ  モーター  コーポレーション  オーストラリア㈱) を株式取得により子会社化
1982年7月 トヨタ自動車販売㈱と合併し、社名をトヨタ自動車㈱に変更
1982年10月 トヨタ  モーター  クレジット㈱設立
1984年2月 トヨタ自動車とGM社 (当時) との間で合弁会社ニュー  ユナイテッド  モーター  マニュファクチャリング㈱を設立
1986年1月 トヨタ  モーター  マニュファクチャリング  U.S.A.㈱ (現在のトヨタ  モーター  マニュファクチャリング  ケンタッキー㈱) およびトヨタ  モーター  マニュファクチャリング  カナダ㈱を設立
1989年12月 トヨタ  モーター  マニュファクチャリング (UK) ㈱設立
1991年2月 トヨタ自動車九州㈱設立
1996年2月 トヨタ  モーター  マニュファクチャリング  インディアナ㈱設立
1996年9月 北米における製造・販売会社の資本関係再編成に伴い、トヨタ  モーター  ノース  アメリカ㈱ (現在は同地域の子会社と合併) を設立
1996年10月 北米における製造統括会社トヨタ  モーター  マニュファクチャリング  ノース  アメリカ㈱ (現在のトヨタ  モーター  エンジニアリング  アンド  マニュファクチャリング  ノース  アメリカ㈱) を設立
1998年9月 ダイハツ工業㈱を株式取得により子会社化
1998年10月 欧州における製造統括会社トヨタ  モーター  ヨーロッパ  マニュファクチャリング㈱ (現在は同地域の販売統括会社、持株会社と合併) を設立
2000年7月 金融統括会社トヨタファイナンシャルサービス㈱を設立
2001年4月 ㈱豊田自動織機製作所 (現在の㈱豊田自動織機) に産業車両および物流システム事業を譲渡
2001年8月 日野自動車㈱を株式取得により子会社化
2002年3月 トヨタ自動車とプジョー  シトロエン  オートモービルズ  SAとの間で合弁会社トヨタ  プジョー  シトロエン  オートモービル  チェコ㈲を設立
2002年4月 欧州における持株会社トヨタ  モーター  ヨーロッパ㈱ (現在は同地域の販売統括会社、製造統括会社と合併) を設立
2002年8月 中国第一汽車集団公司と中国での自動車事業における協力関係構築に基本合意
2004年9月 トヨタ自動車と広州汽車集団股份有限公司との間で合弁会社広州トヨタ自動車㈲ (現在の広汽トヨタ自動車㈲) を設立
2005年10月 欧州における販売統括会社トヨタ  モーター  マーケティング  ヨーロッパ㈱は、同地域の製造統括会社、持株会社と合併 (合併後社名  トヨタ  モーター  ヨーロッパ㈱)
2006年3月 富士重工業㈱ (現在の㈱SUBARU) と業務提携
2010年10月 トヨタホーム㈱に住宅事業を承継
2012年7月 関東自動車工業㈱は、セントラル自動車㈱およびトヨタ自動車東北㈱と合併し、社名をトヨタ自動車東日本㈱に変更
2015年12月 ニュー  ユナイテッド  モーター  マニュファクチャリング㈱の解散申請を、米国の管轄裁判所が認可
2017年2月 スズキ㈱と業務提携に向けた覚書を締結 (2019年8月資本提携)
2017年8月 マツダ㈱と業務資本提携
2018年3月 トヨタ自動車とマツダ㈱との間で合弁会社マツダトヨタマニュファクチャリングUSA,Inc.を設立
2019年9月 ㈱SUBARUと業務資本提携拡大
2020年1月 トヨタ自動車とパナソニック㈱との間で、街づくり事業に関する合弁契約に基づき、プライム  ライフ  テクノロジーズ㈱を設立し、両社の住宅事業を統合
2020年4月 トヨタ自動車とパナソニック㈱との間で、車載用角形電池事業に関する事業統合契約および合弁契約に基づき、プライム  プラネット  エナジー&ソリューションズ㈱を設立

「織田信長」が土壌をつくった?トヨタ自動車の誕生

前回からの続き)

1908年にT型フォードが発売されて以来、自動車産業を牛耳ったのは「フォード」「GM」「クライスラー」のビッグスリーでした。

3社合計の市場シェアは最盛期で95%と、圧倒的な寡占だったことが知られています。

寡占体制により、GMをはじめとする3社は、消費者から好きなだけ利益をあげることができました。

アメリカのクルマはどんどん大型化が進み、石油の価格が安かったこともあって、今では考えられないほど燃費の悪いクルマ(リッター3~4kmくらい)が売られていました。

日銀総裁が「必要ない」とした日本の自動車産業

一方、戦後の日本では、GHQ(連合軍総司令部)は、乗用車の生産を全面的に禁止します。

例外として許可されたのが(復興に必要な)「トラック」でしたが、それも月産1,500台までに限定。

1947年には1500ccまでの小型乗用車、1949年にはすべての乗用車が許可されたものの、ほとんどは外国車の粗悪コピーにすぎませんでした。

当時の日銀総裁だった一万田尚登は、「アメリカの乗用車と競争するのは難しいので、外国から輸入すれば十分」だと発言しました。

まだ貧しかった日本社会において、「ぜいたく品」のクルマなど、一部の富裕層だけが買えばいい、と見なされていたのです。

しかし少し時間をさかのぼれば、1931年には「外国の自動車会社に依存するのではなく、自動車の国産化を推進すべきだ」と言われていました。

国産メーカー育成のための政策が打ち出され、1936年には自動車製造事業法が制定。

すでに日本に来ていた日本フォードと日本GMの二社は、工場の新設・拡張や合弁事業を一切許されず、生産台数も年間1万台前後に制限されました。

こうしたバックアップを受けて、三菱がクルマ作りに参入しようとして失敗。他の財閥たちも、自動車生産の参入には消極的でした。

製造を許可されたのが、「日産自動車」「トヨタ自動車」「ヂーゼル自動車(のちのいすゞ)」の3社です。

しかし、1938年には軍用以外の乗用車を作ることが禁止され、その後も戦争の進行とともに減少していきました。

織田信長がつくったトヨタ発展の土壌

時はさかのぼって戦国時代、天下を統一した織田信長は、尾張の出身でした。

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